NEWS | 2019/03/23 |
【2019.03】ガーナより
言葉との出会いがまた私を強くする
ガーナは、一段と暑い季節になってきました。乗り合いバスの車窓からからブーゲンビリアの花 を見ると、ほんの一瞬でも暑さを忘れてしまうほど美しさに見とれてしまいます。日本は今の時期、 沈丁花の可憐な姿と香りが人々を惹きつけているのではないでしょうか。もう何年も沈丁花の甘 い香りを感じていません。花は人々の心を癒してくれますよね。先日、知人の日本人女性が蓮の 花を株分してもらったらその株から蓮の花が咲いたという話しをしていました。その時は、ガーナで 蓮を育てている人がいたことや、それを株分けしてもらった知人女性の蓮の花が咲いたことがす ごいなとただただ素直に思い、芥川龍之介の蜘蛛の糸の最初の場面に出てくる一文が思い浮か んだのです。なので私の蓮のイメージは、お釈迦様、極楽に咲いている花、白、ピンクというものだ けでした。ところが、先日、2017ミスワールドファイナリスト蛭田麻耶さんがインスタグラムで花魁 の写真をアップする中のコメントで「私は泥中の蓮のような生き方をしたいな。」と書かれていまし た。「泥中の蓮」恥ずかしながら、初めて耳にしたことわざでした。コメントの文頭で「朱に交われば 赤くなる」を挙げ、「人は他人や環境に支配されてしまうものという様子をたとえた意味」と続けて 書かれていました。心にズシンと「泥中の蓮」が響きました。響いたと同時にこれまで私は自分と 他者やまわりと馴染めずにいる偏屈者と自分を捉えていた苦しみから解放された気持ちになりま した。私は泥中の蓮なんだ。私は言葉を借りるなら過言かもしれないけれも「私は泥中の蓮」。
泥中の蓮という言葉からさらに「蓮の花は泥中にしか咲かない」をネットで検索すると、お釈迦 様の台座になぜ蓮の花が選ばれたのかが書かれてあるブログを見つけました。蓮の花は泥水の 中からしか立ち上がってこない。真水であったなら、蓮は立ち上がっては来ないと。泥をつらいこと、 かなしいこと、大変なことにたとえ、つらく悲しいことがなければ人間は悟ることがないのだよとお 釈迦様は教えたかったらしいのです。(参考:アメブロ 人の心に灯をともす hiro-san)蓮の花と聞 いてお釈迦様は思い浮かんだのに、理由までは知りませんでした。蓮の花は、泥水が汚ければ汚 いいほど、大輪の花を咲かせるそうです。今 、ガーナで起きているつらいこと、かなしいこと。これ から起きるであろう困難なこと。泥水にたとえると何だか不謹慎ですが面白くなってきました。ガー ナで大輪の蓮の花を咲かすことを目指してこれからも一歩ずつ進んでいきます。
2019年3月18日 ガーナ挨拶No24 スプートニクガーナ
国分敏子