GHANA

代表挨拶

~使ったものはきちんと返すという私の常識~

図画工作や手芸の授業をする中で、何度も「使い始めにあった数と同じ数返す」「ハサミ は刃先を向けて返さない」と注意をしてしまいます。クレヨンが返される時は、箱を開けて 数のチェック、針が返される時は針山代わりのスポンジに縫い針 とまち針が最 初 と 同 じ 数 あるかこれもまた生徒と一緒にチェックします。クレヨンは制服 のポケットや 赤 土 の 床 か ら出てくることが多々。縫い針まち針は机の中や赤土の床の中から。以前、針が1本足りな くその針山を使っていた生徒に探させた時、教室から飛び出して しばらくして 走 っ て 帰 っ てきました。その時の言葉が「somebody が持って行っていた。」と言うものでした。針1 本をとことん見つかるまで探させた自分、そして制服のウエスト 部分にその針 を 刺 し て 戻 ってきた生徒の somebody の言葉、針一本を探させた自分に対する苛立ちと生徒の言葉に 対する苛立ちが交差し複雑でした。そしてまたその後まさかその somebody を聞く日が来 るなんて思いもしませんでした。ハサミを使った授業の日の出来事です。使った道具の最終 チェックをした際にハサミが1本足りませんでした。「あと1本ハサミが返って来てないよ。 ハサミ1本返して~。」と何度か言った後、一人の生徒が前の席の机の中からハサミを取り だし「somebody がおいた。」と言って私に返したのです。その席は最初から誰も座ってい ませんでした。“また somebody だ”そう思わずにはいられませんでした。 (使ったもの“道具”はきちんと返す)私が生徒に言うことは、もしかしたらずっとこの村 の中で生活する中では単に外国人が教えつける異文化で必要ない んじゃないか ? と 思 っ て しまうのです。仮に日本で日本の子どもに「どうして使ったものはきちんと返さないといけ ないのですか。」と質問されたら何と答えましょう。「次に使う人がないと困るから。」「針や まち針が落ちていたら知らないで踏んだ人がけがをするから。」誰もがうなる感心する答え 方がわかりません。使ったものはきちんと返すというのが常識と して育ってき た か ら な の でしょうか。ある時、村の学校の先生に「ノリをくれ。」と言われたことがあります。理由 は私がノリをたくさん持っているからです。もちろんあげる事はしませんでしたが、たくさ んある人がない人に分けるのはこの先生が常識として育ってきた からなのです 。 互 い の 違 いを認め合うことはスプートニクの理念でもあります。異文化の中で活動するのは、何年経 ってもとても難しいです。しかし、今後も図画工作、手芸をする中で使ったものがきちんと 返されないと見つかるまで探させます。たとえ私の常識がガーナ の非常識であ っ た と し て も。たとえ村の生活の中で私の常識が役に立たなくとも。 国分 敏子

                              2018年7月3日 ガーナ挨拶No18
                              スプートニクガーナ

国分敏子

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